薗田碩哉の遊び半分

遊び力とは何だろうか

 旧友から質問を受けました。子どもの保育に関わっていると、子どもには「遊び力」というような力があるように思えてくる。
「遊び力」があるとしたらそれをどう説明できるか。あんたは遊びの専門家を看板にしているようだが、一つ考えてみてくれという注文でした。それに答える試みです。

 遊び力とは生きる力そのものであると思います。生命というものは自分を取り巻く外界と積極的に関わっていこうという基本的な指向性を持っています。遊びというのはそのもっとも原初的な表れだろうと思います。赤ん坊は五感を通じて外界の刺激を受け止め、それに身体全体を使って反応しようとしています。見えるようになり、聞こえるようになり、身体を動かすことができるようになるにつれて、赤ん坊はさまざまに反応して、声を発したり、泣いたり、笑ったり、手や足をバタバタ動かしたりする、そこに最初の遊びの姿があると言えるのではないでしょうか。

凧揚げをする子供たち

 私が考えるに、遊びはすべての人間に等しく与えられている内発的な運動の表れだと思います。その動きを仕分けするなら次の3つに分けられるのではないでしょうか。

①は身体の動きによるもので、身体のさまざまな使い方を知り、力強さや速さや巧緻性を伸ばしていくような身体運動の方面です。様々な動く試みを通じて、身体のポテンシャルを高める力がついていきますが、それは子どもが幼いうちはもっぱら遊びを通じて実現していくと言えるでしょう。(長ずればスポーツやエクササイズになります)。

②は内面性(心と言ってもいいでしょうが)を構築していく運動です。人が人になるためには、外界を認識してそれを理解し、外界に働きかける意志を持って自らの行動を計画する主体性を確立する必要があります。それは心を作るということ、もう少し科学的?に言えば、脳の中に外界に対応する自分の世界(神経組織の連合)を作り上げるということです。子どもたちの遊びは、鬼ごっこでもかくれんぼでも泥んこ遊びでも、身体的な動きとともに必ず「仮想」「夢」「空想」を伴っていますが、それが心の世界の開拓に大きな役割を果たしているのだと思います。

③は他者の発見と関係づくりです。ご指摘のように、子どもの遊びの発展は、他者との関係性の深まりという方向で理解することができます。遊び相手を見つけ、その他者と競争したり協調したりすることで、人が生きていくために欠かせない「社会」というものを発見していきます。遊びの中では、対立したりケンカしたり、すぐまた仲直りしたりということが目まぐるしく交代します。それによって子どもたちの人間関係力が磨かれていきます。

 遊び力というのを仕分けすれば,①身体を使いこなす力、②心を広げる力、③人との関りを作る力に分けられます。それらの総合が遊び力なのではないでしょうか。重要なことは、遊び力は内発的なもので人間ならば誰にも備わっているものだと思います。遊び力は与えるものではなく「引き出す」ものです。遊びの指導というのは、遊びを押し付けることではなく、子どもの中から遊び力が噴き出してくるような遊び環境を整え、子どもの遊びたい気持ちに火を点ずることだと考えています。

2021年4月4日 薗田 碩哉

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