薗田碩哉の遊び半分

遊びは文化よりも古い

 今でこそ余暇や遊びを看板に専門家ヅラをしてしゃべったり書いたりしている私だが、当初からそれほど確信犯だったわけではない。文学部は出たもののお目当ての出版社や新聞社に入れず、どうしたものかと悩む中、地域で打ち込んでいたサークル活動が縁となって財団法人日本レクリエーション協会という団体の事務局に入ってしまった。敢えてこの団体を選んだのは、募集していた職種が団体の機関誌『レクリエーション』の編集係だったので、そこで雑誌作りの基本を身に着けて、そのうちまともな出版社に鞍替えしようという魂胆があったからである。

 そういうわけなのでこの団体に就職はしたが、翌年の採用シーズンにはまたまた出版社に挑戦したのだが、これがたいへん狭き門なのである。「岩波書店」にしても「筑摩書房」にしても名前は知られていても経営規模はごく小さくて、筑摩など当時は普通の民家みたいなところが社屋だった。採用人員も1人か2人、そこへ数百人の文系学生が押しかけるのだから、よほど頭のいい、容姿もいい、そして運もいい奴でないと入れたものではない。チャレンジはしたが転職のチャンスをつかむことができなかった。

 他方で、団体の機関誌づくりの仕事は悪くはなかった。エディタースクールに通わせてもらって編集の技法を勉強できたし、自転車振興会(競輪のあがりを社会事業などに配る団体)の助成金をもらって作るPR誌だから、売れ行きの心配はあんまりなく(とはいえ有料の購読者を増やすというノルマはあったのだが)、テーマが「レクリエーション」だから、楽しい記事をいろいろ考えればよく、理事者からの指示や干渉もほとんどなかった。編集委員会の諸先生と気脈を通じて、あれこれ企画を立てて執筆を依頼し、取材に歩き、座談会を組んで談論風発を楽しみ、原稿が集まらないと自分で書いた方が早いとばかり、ペンネーム(「その・ひろし」という名前をよく使った)で書きまくった。何のことはない、高校時代にやっていた校内誌の編集、大学時代の同人誌やサークル誌づくりが、少しだけ本格的になったというだけで、編集遊びの延長みたいな仕事だったのだ。

階段を登る足

 ほんの数年で私は月刊『レクリエーション』の編集者として、自分のペースで好きなように仕事ができるようになった。給料は高くはなかったとはいえ、結婚して家族を養うことも何とかなり、まずは申し分のない生活ではあったのだが、しかし、一つの疑問が念頭を去らなかったことも事実である。それは「オレは本当にこんな遊び仕事をしていていいのか」という問いである。周りを見渡すと高校・大学の同期の連中は、官庁に入ったり著名な会社の社員になったりしてバリバリ働いている。当時は経済成長真っ盛りのころだから、どの企業も事業を拡大し、海外にも進出しようと夢をふくらませていた。その友人たちに会って「お前は何の仕事?」と聞かれ「レクリエーション協会にいる」と答えると「何それ?」「聞いたことないな」という疑問から「いつまでも遊んでいられていいね」という皮肉まで、およそ評価とは程遠い反応が返ってきて、居心地の悪さを感じていた。「俺ももう少しまともな仕事をして連中と肩を並べなくては」という思いが込み上げてきたものだ。

 自分の仕事に自信を失いかけていた私に文字通り「目からうろこ」の衝撃的な認識をもたらしてくれた書物がヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』である。「ホモ」はラテン語の人間、ルーデンスは「遊んでいる」という意味だから、「ホモ・ルーデンス」は「遊ぶ人」であり、あっさり言えば「遊び人」ということになる。そしてホイジンガは「遊び人」こそが人間の本質であり、遊びこそは文化の母体であると主張する。「文化は遊びの中に、遊ばれるものとして生まれた」というわけだ。

 よく知られているように、人間に与えられた分類学上の学名は「ホモ・サピエンス=知恵ある人」である。しかし、ホイジンガは人間が人間であることの所以を「サピエンス=知っている」ではなくて「ルーデンス=遊んでいる」という点に見い出そうとした。ホイジンガという人はオランダはライデン大学の中世史の権威であり、主著『中世の秋』(1919年)は中世史の古典的な名著である。『ホモ・ルーデンス』(1938年)はホイジンガの晩年の著作だが、この碩学(ついでながら碩学の「碩」は広いという意味で、碩学は学問の広い人ということ。わが父君はその「碩」を私の名前に付けてくれた)は、古今の歴史を通観して、人間生活を生み出す文化の根底に「遊び」が作用しているという説を立てた。「遊び」というとるに足りないものが、実は文化を支える基盤であると喝破したのである。

 遊びやレクリエーションをテーマに雑誌の編集をしていたので、この本についても知るところとなった。高橋英夫氏によって初めて日本語に訳されたのは1963年だが、高度成長に乗って「レジャー」が流行語になったころでもあり、「遊び」への関心も高まっていたのである。評判を聞いて本を開いてみると、冒頭の文章が「遊びは文化よりも古い」である。そして、これまで遊びについて語られてきたことは遊びの部分解釈でしかない、遊びの「本質は「面白さ」にあり、遊びは「無条件に根源的な生の範疇の一つ」であるとされる。遊びの意味を問い詰めていく中で、ホイジンガは人間の文化―競技や芸術や詩や知識や哲学はもちろん、法律や戦争までもが「遊びの形式」の中から生まれてきたことを、さまざまな歴史的な知見をもとに展開していく。

 「うわー、すごい!」と思った。遊びは生活の付け足しやおまけではない、労働の侍女でもない。生活そのものを生み出していく原点であり母胎であり、そこに遊びの存在理由があるというのだから。これはまさに、太陽が地球の周りをまわっているのではない、地球こそが太陽の周りを回転しているのだと指摘したコペルニクスにも匹敵する大転換ではないか。世間の人は「たかが遊び」としか見ていない遊びが、実はもっともっと広大無辺な実在であって、われわれもその根源の遊びに遊ばれている小さな存在に過ぎない・・・となれば、遊びやレクリエーションを考えることはまことに深甚な意味がある。私がやっていることは間違っていないし、尊いことに違いない。

 この「遊びにおけるコペルニクス的転回」を経て、わが「遊び半分」人生の腰が定まったのであった。以来、もはや実業や権力の世界に潜り込もうなどという気はさっぱり捨て去って、遊びとレクリエーションの研究と実践を「遊び半分」に続けてここまで来たのである。『ホモ・ルーデンス』は1978年には中公文庫に入って入手しやすくなった。これをテキストに学生や仲間たちと何度も読書会を繰り返した。今も手元にある文庫版は、黄色くくすんでいて、始めから終わりまでいたるところに赤線が引いてあったり書き込みが見られる。私にとってのバイブルが『ホモ・ルーデンス』なのである。

2021年6月4日 薗田 碩哉

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