日本人なら誰しも、カエルとウサギが相撲を取っている、いかにも楽しそうな漫画を観た記憶があるだろう。墨絵だから黒一色だが、全体の構図や動物たちを描く筆づかいがなんとも見事で、カエルもウサギもまことに生き生きと相撲を楽しんでいる。これが800年も昔の作とはどうしても思えない。最近のアニメ作家が描く絵に比べても遜色はない。言わずと知れた「鳥獣戯画」の1シーンである。
「鳥獣戯画」は、流行歌にも歌われた京都は栂尾(とがのお)高山寺に伝わる紙本墨絵の絵巻物で、「鳥獣」だけではなく、人間もいろいろ出てくる。それがみな、貴公子やお姫様ではなく、ふんどし1つの半裸体やぼろをまとった庶民ばかり。彼らも首相撲をしたり石投げをしたり、自由勝手に遊んでいる。お互いに尻をむき出しにして放屁合戦をするという下品極まりないのもある。それらの雰囲気がみな、底抜けに明るいのである。
今年(2021年)4月から5月にかけて、東京・上野の国立博物館で「特別展 国宝 鳥獣戯画のすべて」が開かれた。2009年から2013年にかけて130年ぶりという本格修理がおこなわれたのだが、それによって生き生きと蘇った原画が展示され、最新の研究成果も発表された。是非とも行ってみたかったのだが、コロナに災いされて展示会には行けずじまいだった。その代わりに特別展を踏まえたカタログのような書籍を眺めて、戯画の世界を改めて楽しんだ。(「謎解き鳥獣戯画」とんぼの本 新潮社)。
最新の研究でも鳥獣戯画には謎が多い。そもそも誰がどんな目的でこの絵巻を作ったのかが、やっぱりはっきりしない。画の作者も、戯画を得意とした鳥羽僧正(平安末期の人)ではないかという説もあったが、作風が全く異なる。それより後、平安から鎌倉初期に描かれ、のちに高山寺の所有となり、広く知られて模写が出回るようになったのは江戸時代になってからだという。いずれにしても日本の戯画の代表作であり、第1級の国宝にちがいない。
戯画を眺めていて気付いたことがある。いろいろな動物が出てくる中で、カエルの位置づけが特別に高いということだ。戯画の甲巻ではウサギとともに主役を務め、さまざまな場面で人間並みになったカエルの振る舞いや表情が描かれている。サルも擬人化されて登場するが、そのほかの猫や犬やキツネはほんの端役でしかない。現実には獣たちに比べてはるかに小さな存在でしかないカエルに、これほどスポットライトが浴びせられているのはなぜなのだろうか。
筆者はこの絵の発想の根本に「子どもの目線」があると思う。子どもにとってカエルが一番身近な遊び相手であることは今も昔も変わりがない。水田があれば必ず群れ集ってケロケロ鳴いていたはずのカエルは、子どもでも捕まえて弄ぶことができる。合歓の里の田んぼにやって来る子どもたちも、カエルと聞いたら目の色を変える。残念ながら、筆者の子ども時代に比べて、カエルの種類も数もはるかに少なくなった。昔はどこにもいたトノサマガエルはいったいどこに行ってしまったのだろうか。合歓の里では、毎年3月下旬に、田んぼ横の小さな池で交尾期を迎えたヒキガエルの大饗宴が行われるが、これは見ものである。20センチもある茶色のカエルたちが池の中を行き来して、くんずほぐれつのお見合いをするのである。子どもでなくてもカエルとともに大興奮のひと時である。
他の登場人物(鳥獣)の中では、ウサギもおとなしい動物だから、子どもにも親しみやすかったろう。ウサギも擬人化されて、いろいろな行動が描かれている。しかし、サルやキツネはそう簡単に接近できないし、猫や犬も飼われてはいても、子どもから見て、現在ほどにはペット化していなかったと思われる。彼らはただの見物人のような描かれ方である。人間化によってウサギと相撲が取れるほどに拡大されたカエルは、実に表情豊かに取っ組み合ったり笑い転げたりしている。画の作者は、子どもたちに親しい人であったに違いない。カエルの活躍ぶりを見て大喜びする子どもたちのことを念頭に置いて、鳥獣戯画の制作に打ち込んだことだろう。
『鳥獣戯画』が描かれた時代は、あの『梁塵秘抄』が編まれた時代と重なり合う。「遊びをせん」として生まれてきた子どもたちは、戯画に登場するようなさまざまな戸外遊びを楽しんでいた。子どもばかりではない。戯画の甲巻、乙巻は動物が主役だが、丙巻、丁巻は一転して人間中心になり、そこに登場する大人たちも遊びと悪ふざけが大好きである。これらの戯画からは「この世は遊び半分、愉快に生きよう」というメッセージが強烈に伝わってくる。