Ludologyメモ① ルドロジーへの招待

 ルドロジー(Ludology)とは何か 

 

  ルドロジー(Ludology)というのは、ludus(ラテン語で’遊び’)と logos(ギリシャ語で’ことば’=論理)を組み合わせた用語である。つまりは「遊びのロジック」ということだから、翻訳すれば「遊び学」ということになる。一般にはあまり耳慣れない言葉だが、ウィキペデイアを引いてみると「Ludus(遊び/ゲーム)を研究する学問分野のこと」と解説され、特にコンピューターゲームの研究、それもコンピューターゲーム自体のメディア属性に着目した研究を呼ぶ時に使われるという。

 

  しかし、この用語はなかなか古い起源をもっている。先にあげたウィキペデイアのページの脚注3に筆者(薗田碩哉)の『遊びの文化論』(1996年)がしっかり取り上げられているが(ウィキペデイアも捨てたものではない)、同書に書いたように、初めてこの語を使ったのはアメリカの社会学者マイガードで、1950年に開かれた戦後初の国際社会学会での彼の発表のタイトルが” About Ludology”であった。これに参加した日本の社会学者の林恵海が帰国して同年末の日本体育学会第1回大会の特別講演で紹介したのである。

 

 林は講演でLudologyの背景にホイジンガの名著『ホモ・ルーデンス』(1938年、オランダ)があることを指摘している。ホイジンガは人間存在の根源に「遊ぶ」という行為を置いて、動物学上の人間の学名ホモ・サピエンス(Homo Sapiens=知恵ある人)をもじったHomo Ludens(遊ぶ人間)を対置させた。Ludologyは遊びを根底に据えて人間と文化を幅広く考察しようとする新たな学の提起なのであった。当時の日本ではまだ『ホモ・ルーデンス』は広く知られておらず、日本語訳が出版されたのは遥か後の1963年のことである。遊びという取るに足りないものを真正面から論じるという風潮は、戦後の復興が一段落し、戦後の経済成長が本格的に始まる1960年代を待たねばならなかった。

 

 問題提起は早かったが、早すぎて定着しなかったLudologyをいま改めて俎上に載せ、幅の広い考察を加えたいというのが筆者の願いである。それもコンピューターゲームに特化する以前の原Ludologyについて考え直してみたい。

 

 

 

Add a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です